Summervacationのブログ

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卵子提供で出産を望む人の背景について考える

卵子提供を受けるために台湾へ渡る――。というヤフーニュース(2025/11/6)を最近見ました。
何千万円という費用を払っても妊娠できるとは限らないのに、それでも挑戦する人がいる。

その背景には、どんな思いがあるのだろうと考えてしまいます。

 

卵子提供というのは、出産する女性自身卵子ではないです、
受精卵の半分は夫のDNAであっても、自身の遺伝子は含まれません。

もはや、DNAだけを見れば、愛人の子供と同じです。


それでも、大金を払い、ホルモン剤を使い、体を薬で整え、妊娠しやすい状態を人工的につくってまで「出産すること」を望む――。


それは、夫のDNAをこの世に残したいという思いなのか、
「家」を継ぐという使命感なのか。

 

日本の法律では、「卵子を提供した人」ではなく、実際にお腹の中で子を育てて出産した人が「母」とされています。


つまり、遺伝上のつながりよりも「出産した」という事実が重視されているのです。
この法的な仕組みも、卵子提供による出産を後押ししているのかもしれません。

 

でも、もし自分の結婚相手に「卵子提供でもいいから生んでほしい」と言われたら――
私はきっと、「まるで生む機械みたいに扱われている」と感じてしまうと思います。
そこにあるのは、「一緒に人生をつくるパートナー」としての対話ではなく、「子孫を残すための役割」としての期待のようで、正直、悲しくなります。


それでも、それを踏まえてでも出産を望む女性がいるのは、いったいなぜなのだろう。
どうしようもないほどの切実な理由とは何だろう? 遺産相続、「お腹を痛めて生んでこそ母」というような社会的な圧力、あるいは「妊娠して出産したい」という本能的な願いなのか?

 

けれども、もし自分の遺伝子を持たない子を家族として育てるという点だけを見れば、

養子を迎えるという選択もあります。


その方が、母体を傷つけることもなく、望まれない環境で生まれてきた子に新しい家庭を与えるという、社会的な意義もあると思うのです。

 

私自身、不妊治療を経験しました。
妊娠には至りませんでしたが、その治療は言葉にできないほどの精神的・肉体的・経済的負担がありました。


10年以上経った今ようやく、少しずつ言葉にできるようになってきたところです。
だからこそ、私は「自分の卵子ではない子を卵子提供で出産する」という選択はできない、と心から思います。

 

それでも、卵子提供という選択をする人には、そこに至る深い事情や、切実な思いがあるのだと思います。


卵子提供」という医療技術が進歩する一方で、

「出産すること」が母、という法律の見直し、

また養子縁組も自然に受け入れられる社会にもなっていってほしい

――そう願っています。