「もったない」は呪文
車→必要な時だけレンタカー
音楽→ダウンロード
DVD→動画配信
洋服→サブスクへ
持ち家→賃貸
このコロナ禍の直前で転勤が決まり、持ち家から賃貸に引越した事、また、在宅勤務を経験する事で、ライフスタイルの見直しを行われた、(結果的に)と思う。
食料品や日用消耗品以外、
「モノを購入する」という事をほとんどしなくなった。下着や靴を買い替えたくらいだ。
「もったいない」として、モノを捨てないのは、
時に、何かに(過去の初恋的な思い出や、楽しかった留学先や旅先、誰かに貰ったお手紙やお祝いの品々等)しがみつく自分を正当化する「呪い」の呪文、なんじゃないか、
とさえ思うようになった。
またお金を稼いで、新しい経験をして、新しい旅先へ行き、また違う思い出をどんどん作ればいい。
誰かからの何年か前の頂きモノって、もはや贈り主も贈った事を忘れてるだろうし、捨てた事で家族関係や友人関係が壊れたりしないであろう。
そう分かっていても、もったいない精神=美徳、という長年培った価値観が身に付いていて、
「捨てる」という行為は、使えるモノを無駄にしている気がして本当に苦痛に感じるので、レンタルやらサブスクやら、にしている。
所有して「捨てる」では無く、
レンタルして「返却」とした方が
「もったいない」が呪いではなく、
モノへの尊敬の言葉になるのではないだろうか。